2008年05月10日
ヌルイの浜スタ~惜敗編~
GW中はモヤモヤ、つーかハッキリしないシケた天気が多かったように思います。けど、最終日だけはスコーンと抜ける初夏の青空。晴天の季節もよろしいときは、なんだ、アレだ。競馬か野球を見にいって、もろくなった腰骨にカルシウムを蓄えるに限るわけです。
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2008年05月06日
はる日がなは、噺を聞きながら寝るにかぎる
2008年03月18日
賀茂の水はおれのナニでほにゃらららぁ~♪
曼殊院で、小一時間も数寄にどっぷりと浸ったのちに、さてと。
修学院離宮がほど近い。
せっかくだから、もうひとつ庭を見るかと音羽川沿いの雲母坂を下って向かう。
が、休館日である。というか、戻ってから調べてみたら拝観には事前申し込みが必要なのね。
さすが、皇室用財産。
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修学院離宮がほど近い。
せっかくだから、もうひとつ庭を見るかと音羽川沿いの雲母坂を下って向かう。
が、休館日である。というか、戻ってから調べてみたら拝観には事前申し込みが必要なのね。
さすが、皇室用財産。

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2008年03月17日
曼殊院門跡 ~その2~
柾目がビシッと通った杉は数寄屋普請の圧倒的な主役で、その材のもつ軽さと無常なうつくしさが、寂びなど数寄のこころにかなう。大書院をぬけて外にでると庭になる。縁側には、ごく簡素なつくりの欄干があり、やはり垂木がむきだしのままの軒と合わさって、舟ばたにいるようでもある。 続きを読む
2008年02月24日
横浜散歩
最寄り駅から特急で12分という横浜だが、強制的な用がない限り行ったことがない。川崎在住22年になるが、一年に一度も行かないこともあったかも知れない。みなとみらい線との、直通運転が開始されて4年にもなるらしいが、実は乗ったことすらない。だって、渋谷にだって13分なんだもん。ことさら横浜で、という用がないのは事実。が、元町・中華街まで一気通貫にはじめて乗っちゃった。
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2008年01月03日
なんのために走るのか
さて。なんとはなしに年もあけて、元旦は近所の銭湯の朝風呂で精進潔斎などしたり。
翌2日はアレだ。今年は本厄らしい折れ様。初詣を兼ねて厄除けのお祓いをする。
護符やら鰹節やら縁起物をもらい、不意な思いつきでレース場へ足を運んでみる。
これも神様のおぼしめしかも。
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翌2日はアレだ。今年は本厄らしい折れ様。初詣を兼ねて厄除けのお祓いをする。
護符やら鰹節やら縁起物をもらい、不意な思いつきでレース場へ足を運んでみる。
これも神様のおぼしめしかも。

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2007年10月09日
ドトーの神宮外苑~完敗編~
出張がえりの新幹線で、たったのビール350ml缶しか飲まずに、セッセコ帰京した先というのは、もうね、この頃はレギュラーシーズン1位通過間違いなしのイキオイだった、タイガースとスワローズの神宮での21回戦にキミたちを連れてくることだったのだ。
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2007年05月07日
関西人文圏成れの果て
呉羽丘陵に登り、東方の野を眺めてみる。富山平野は、鶴が翼を広げるように海を抱いている。平野の中央にある、ナマコ型の丘陵が呉羽山であり、立山連峰眺望の特等席として知られている。
この土地に住む人にとっては、例え一生にいちども登山などをしない人にとっても、立山は巨大な宝石のような存在で、晴れては喜び、朝夕の陽に赤く染まっては喜ぶ。もっともこの日は、この時期特有の蒙気に平野全体が覆われて、何も望むことができなかった。
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この土地に住む人にとっては、例え一生にいちども登山などをしない人にとっても、立山は巨大な宝石のような存在で、晴れては喜び、朝夕の陽に赤く染まっては喜ぶ。もっともこの日は、この時期特有の蒙気に平野全体が覆われて、何も望むことができなかった。

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2007年05月06日
にっぽんの裏側へ
平成になってからは初めてかも知れない。
電車で田舎に帰るなんざね。

8時4分発だったかな。たにがわとかいう新幹線。各駅停車じゃないか、つまり(笑)
高速渋滞なんて無縁で、ゆっくりビールを飲む時間もあろうかというもの。
余裕のブチかましな帰省で、なんか新鮮。
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電車で田舎に帰るなんざね。

8時4分発だったかな。たにがわとかいう新幹線。各駅停車じゃないか、つまり(笑)
高速渋滞なんて無縁で、ゆっくりビールを飲む時間もあろうかというもの。
余裕のブチかましな帰省で、なんか新鮮。

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2007年02月27日
サッと歩きの法善寺横丁
西側の入り口の看板には“寛美”とあります。喧噪の道頓堀界隈とうってかわって、なにやらしっとり情緒の法善寺横丁。雨上がりのため石畳もツヤめいてます。

古くから、水商売をはじめとする人々の信仰をあつめて柄杓で水をかけられ苔むす、水掛不動さん。願いの多くは、商売繁盛、恋愛成就だとか。そうだったな。自分もまぁ、水商売のはしくれだった。特に参り忘れたが、願掛けのひとつくらいしときゃよかったかも知れぬ。たなびく線香のけむりが、繁華なミナミのなかで異質なほどの静寂さをかもしています。


2002年、2003年の2度におよぶ火災ですべて灰燼に帰した横丁。もちろん建物がすべて新しくなって旧観とは異なるものなのでしょう。しかし、すれ違う人と肩をも摺りそなギュウと狭まった往来を、足裏へのあたりもやわらかな石畳をそっと踏みしめれば、偲ぶよすがもあろうというもの。足音もひそやかにそぞろ歩けよ、歩けよ。

古くから、水商売をはじめとする人々の信仰をあつめて柄杓で水をかけられ苔むす、水掛不動さん。願いの多くは、商売繁盛、恋愛成就だとか。そうだったな。自分もまぁ、水商売のはしくれだった。特に参り忘れたが、願掛けのひとつくらいしときゃよかったかも知れぬ。たなびく線香のけむりが、繁華なミナミのなかで異質なほどの静寂さをかもしています。


2002年、2003年の2度におよぶ火災ですべて灰燼に帰した横丁。もちろん建物がすべて新しくなって旧観とは異なるものなのでしょう。しかし、すれ違う人と肩をも摺りそなギュウと狭まった往来を、足裏へのあたりもやわらかな石畳をそっと踏みしめれば、偲ぶよすがもあろうというもの。足音もひそやかにそぞろ歩けよ、歩けよ。

2007年02月23日
道頓堀極楽商店街 [なんば]
蛸之徹、ぶっちぎり寿司とハシゴした後は、さすがに食い過ぎた感アリアリなので、心斎橋筋をなんばまでブラブラ腹ごなししてみる。
雨の戎橋。現在架け替え工事中。大阪城、通天閣を背景にしょったグリコランナーも雨に濡れそぼってますな。さすがミナミのど真ん中だけあって、雨にもかかわらずおおぜいの人出でごった返している。

何年かぶりに、くいだおれクンでも見に行こうかと思って進むと、「ただいま入館料0円! 来てな~」との看板が。ははあ~。浪花座跡地に2~3年前にできた、コテコテの大阪の味を50店舗ばかり集めたというフードテーマパークがこれか。もう、なんにも入らなそうだが、入場料タダなら雨やどりついでに冷やかしてみるかね、と。

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雨の戎橋。現在架け替え工事中。大阪城、通天閣を背景にしょったグリコランナーも雨に濡れそぼってますな。さすがミナミのど真ん中だけあって、雨にもかかわらずおおぜいの人出でごった返している。

何年かぶりに、くいだおれクンでも見に行こうかと思って進むと、「ただいま入館料0円! 来てな~」との看板が。ははあ~。浪花座跡地に2~3年前にできた、コテコテの大阪の味を50店舗ばかり集めたというフードテーマパークがこれか。もう、なんにも入らなそうだが、入場料タダなら雨やどりついでに冷やかしてみるかね、と。


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2006年11月05日
ある作家の思惟の叢林
在阪3日目
今回の出張ついででイチバン訪ねたかったのがここである


そう、司馬さんち
自然のままを好んだ作家の庭
雑木林のような雑多な庭を眺めたサンルーム


書斎には
断筆となった「街道をゆく~濃尾三州記~」のための
関連の資料・書籍が約700冊も詰め込まれた
そのままの姿で保存されているとか


記念館
高さ11mの大書架に約2万冊の書籍が張り付いてます
それだって、4万冊ともいわれる蔵書の約半分
一主題にかかるとき関連の書籍・資料が古書街から無くなってしまう
という、偉容の一端ですな

今年の始めに「竜馬が見に現れた!!!」と週刊誌でも話題になった
天井のシミ
マニアはいろんなところに気がつきますな
神秘主義、観念論、いたずらに形而上学的な思考を廃し
ひたすらに合理主義をもって歴史と人物を解釈し続けた
きわめて大阪的風土から生まれ出た作家と
そこに描かれた竜馬にはそんな趣味はなさそうですが
そんな奇譚も、また一興
今回の出張ついででイチバン訪ねたかったのがここである


そう、司馬さんち
自然のままを好んだ作家の庭
雑木林のような雑多な庭を眺めたサンルーム


書斎には
断筆となった「街道をゆく~濃尾三州記~」のための
関連の資料・書籍が約700冊も詰め込まれた
そのままの姿で保存されているとか


記念館
高さ11mの大書架に約2万冊の書籍が張り付いてます
それだって、4万冊ともいわれる蔵書の約半分
一主題にかかるとき関連の書籍・資料が古書街から無くなってしまう
という、偉容の一端ですな

今年の始めに「竜馬が見に現れた!!!」と週刊誌でも話題になった
天井のシミ
マニアはいろんなところに気がつきますな
神秘主義、観念論、いたずらに形而上学的な思考を廃し
ひたすらに合理主義をもって歴史と人物を解釈し続けた
きわめて大阪的風土から生まれ出た作家と
そこに描かれた竜馬にはそんな趣味はなさそうですが
そんな奇譚も、また一興
2006年10月24日
オトコ 港 爆釣 幻想録
さて、季節は巡り
オトコ港もすでに秋風たつ季節
栄光のキス天丼を夢見
いや、季節柄青モノがわんさと押し寄せているかも知れぬ
家のモノには
「ワサビを練って待っとけや!!!」と放言しつつ
わがオトコ港に爆釣の予感を抱きつつ
また来たぜ、この港
東扇島へと一本道な街道沿い
早朝営業の立ち食いそば屋で朝飯を

小ライスにそば、揚げもん2品チョイスして、
コロッケ、味のりついて500円とはまさに川崎ストマック也
味は不問に伏すけどさ

さて、釣りの前から胃が重くなってしまったが
おとこ港は風も波も凪
トップリ揺れる重油のような海面にイソメをぶち込む

う~む
よく寝たなケン様よ
港は薄日差し風波とも凪
鶴見に“すば”でも食いに行こうかね♪
オトコ港もすでに秋風たつ季節
栄光のキス天丼を夢見
いや、季節柄青モノがわんさと押し寄せているかも知れぬ
家のモノには
「ワサビを練って待っとけや!!!」と放言しつつ
わがオトコ港に爆釣の予感を抱きつつ
また来たぜ、この港
東扇島へと一本道な街道沿い
早朝営業の立ち食いそば屋で朝飯を

小ライスにそば、揚げもん2品チョイスして、
コロッケ、味のりついて500円とはまさに川崎ストマック也
味は不問に伏すけどさ

さて、釣りの前から胃が重くなってしまったが
おとこ港は風も波も凪
トップリ揺れる重油のような海面にイソメをぶち込む

う~む
よく寝たなケン様よ
港は薄日差し風波とも凪
鶴見に“すば”でも食いに行こうかね♪
2006年08月30日
ごぜうた
先週のことであります
沖縄三線ばかりでなく他の日本の民謡も...と思い
月岡祐紀子さんの瞽女三味線弾き語りを聴いてきました
場所は渋谷道玄坂のやや隠れ家チックな小さなバー
早めに席を取ったんで演者にかぶりつきですわ

えっと(生半可な知識ですが)、瞽女とは
三味線唱を中心とした音曲を生業に
新潟県を中心とした北陸地方や東北地方、時には関東を
旅回りした盲目の女旅芸人のことです
瞽女唱は、娯楽の少なかった昔の農村の楽しみのひとつとして
昭和初期までは多くの瞽女が活躍
特に、高田と長岡には瞽女さんたちを束ねる大親方が存在していたようですが
第2次大戦後は農地改革で大地主が没落することで
それに寄食することで生活基盤を保っていた座元や家元が成り立たなくなり
また、娯楽の嗜好の変化で終戦後間もなくあっという間にその流れが絶えたという芸能です
瞽女唱は男性盲人のような検校、勾当、座頭といった大きな組織を持たなかったことや
その芸が伝統的に口移しだったこと、そして性格として農村に根ざした民間の芸能だったことから
農村のありようも変わった戦後には生き残ることができなかったわけですが
1970年代後半から伝統芸能としての再評価が高まり
最後の瞽女として有名な小林ハルなど、活動を再開する人も出てきて
無形文化財に指定されたりしてます
もっとも、伝統としての瞽女唱は絶えましたが
歌曲としてのこれを残そうという動きは続いており
小林ハルの生地の三条市には保存会もあるようです
月岡祐紀子さんもこうした一人の若手民謡奏者で
この日は、いくつかの瞽女唱を聴かせてくれました
初めて瞽女唱を聞いたシロウトとしては
三味線の節回しなどは津軽民謡と通じるものがあるような気が
というか、じょんがらにも影響を与えているらしいですね瞽女唱は
三味線抱えて各地を歩き回った瞽女さんたちは、文化の伝播者でもあったようで
「新保広大寺」「追分」「松坂」なんていう、各地に残る民謡は
瞽女さんたちが歌い運んだものだそうな
節回しが絶えて分からなくなった唱の歌詞が
伊豆諸島の青島の太鼓唱として残っていたりもするんだそう
月岡さんはですね、WEBのプロフィールで見た人より
いくぶんか貫禄がお出になっておりますが
着物と三味線にはこのくらいの方がよくお似合いです♪
父君が民謡の師匠とのことで唱のうまさはさることながら
まだ若い声ですが、よく響くハリのあるお声がすばらしい
また機会あれば聴きにいきたいものです
沖縄三線ばかりでなく他の日本の民謡も...と思い
月岡祐紀子さんの瞽女三味線弾き語りを聴いてきました
場所は渋谷道玄坂のやや隠れ家チックな小さなバー
早めに席を取ったんで演者にかぶりつきですわ

えっと(生半可な知識ですが)、瞽女とは
三味線唱を中心とした音曲を生業に
新潟県を中心とした北陸地方や東北地方、時には関東を
旅回りした盲目の女旅芸人のことです
瞽女唱は、娯楽の少なかった昔の農村の楽しみのひとつとして
昭和初期までは多くの瞽女が活躍
特に、高田と長岡には瞽女さんたちを束ねる大親方が存在していたようですが
第2次大戦後は農地改革で大地主が没落することで
それに寄食することで生活基盤を保っていた座元や家元が成り立たなくなり
また、娯楽の嗜好の変化で終戦後間もなくあっという間にその流れが絶えたという芸能です
瞽女唱は男性盲人のような検校、勾当、座頭といった大きな組織を持たなかったことや
その芸が伝統的に口移しだったこと、そして性格として農村に根ざした民間の芸能だったことから
農村のありようも変わった戦後には生き残ることができなかったわけですが
1970年代後半から伝統芸能としての再評価が高まり
最後の瞽女として有名な小林ハルなど、活動を再開する人も出てきて
無形文化財に指定されたりしてます
もっとも、伝統としての瞽女唱は絶えましたが
歌曲としてのこれを残そうという動きは続いており
小林ハルの生地の三条市には保存会もあるようです
月岡祐紀子さんもこうした一人の若手民謡奏者で
この日は、いくつかの瞽女唱を聴かせてくれました
1.あめふりうた
2.かわいがらんせ
3.こうといな
4.新保広大寺節
5.朝広大寺
6.山椒太夫~舟別れの段~
などに、その他少々の演目
初めて瞽女唱を聞いたシロウトとしては
三味線の節回しなどは津軽民謡と通じるものがあるような気が
というか、じょんがらにも影響を与えているらしいですね瞽女唱は
三味線抱えて各地を歩き回った瞽女さんたちは、文化の伝播者でもあったようで
「新保広大寺」「追分」「松坂」なんていう、各地に残る民謡は
瞽女さんたちが歌い運んだものだそうな
節回しが絶えて分からなくなった唱の歌詞が
伊豆諸島の青島の太鼓唱として残っていたりもするんだそう
月岡さんはですね、WEBのプロフィールで見た人より
いくぶんか貫禄がお出になっておりますが
着物と三味線にはこのくらいの方がよくお似合いです♪
父君が民謡の師匠とのことで唱のうまさはさることながら
まだ若い声ですが、よく響くハリのあるお声がすばらしい
また機会あれば聴きにいきたいものです













