2007年02月20日

古今鮨考現学

大阪出張もそこはかとなく終わり、18時台の東京行きの新幹線に乗り込む。
その前に、軽めの晩飯&酒のアテくらいのつもりで、新大阪駅の駅弁売り場で
「大阪ずし」なるパックを購入する。700円くらいだったか。
太巻きはご愛敬として、〆サバ、玉とかにの味、あなごの箱ずしである。
浪華の街でこれといった晩飯は食い損ねたが―昼飯までに食い過ぎただけであるが―〆のメシがこれというのはこの日の気分としてはけっこうアリだったので、ちょっといい気分で箱の包みを解いたりする。

実は、大阪ずしについてはなんにも考えてない。
帰宅した翌日の仕事の合間の休憩時に、放屁付ごろ寝を決めながら読み古した本を読み返していたら、いい文章があったので紹介してみたいと思ったのが、このエントリーの理由というわけだ。



スシの原型の一つは、たとえば近江の鮒ずしだろう。そのにおいの強烈さに、馴れぬ他府県人は驚倒してしまう。鮒ずしは、なれずしの一種である。こういう発酵食品は極東の古文化をおおっていたようで、中国にもベトナムにもあり、エスキモーの社会にもある。ともかくも鮒ずしのような固有すぎるものは、近世ともなると、近江だけに残り、普遍性を失ってしまっていた。
近世では、大阪もまた、諸国から人のあつまる地で、小さいながら文明(普遍性)が成立する条件をもっていた。ここに箱ずしという、いわば多数に通用する(つまり普遍性の高い)すしができた。鮒ずしにおける臭気という魅力的な(しかし排他的な)固有の文化はのぞかれて、たれもが出会いがしらに口にできるすしになった。私は1923年生まれだが、当時、大阪では圧倒的に箱ずし(大阪ずし)だった。私自身は、中学四年生のとき、はじめて“東京ずし”を食った。いきなりうまいとおもった。その『いきなり』が、普遍性というものである。いまでは大阪でも大阪ずしは普遍性をうしない、特別なものになってしまっている。
江戸は大工・左官といった職人が、他地方とはけた外れに多くいた街で、資本の蓄積を心がける商人とはちがい、腕さえよければ宵越しの金をもたずにくらせたため、さかんに美味をもとめ、うまい店の情報に敏感だった。
酢と塩を加えためしを用意し、客の前で即席でにぎり、江戸前のサカナをのせるというこの食品は伝統的ななれずしとはまったくちがったもので、その味覚には万人が参加できた。
司馬遼太郎「アメリカ素描」より

名古屋を過ぎたあたりでワンカップのふたをあけてすしをつまみ続ける。
浜松まで来たかどうかは定かではなかった。車窓にうつる景色は、すでに闇でどことも知らぬ街の灯りが飛びすぎていくだけだった。
たぶんほんのあとわずかの時間を残すだけのところでまどろんでしまったらしい。新横浜のホームに入る2~3分前に、減速する車両の振動で目が覚め、ぼくはあわただしく席をたたなければいけなかった。

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この記事へのコメント
紀行文の締めとしては(出来過ぎなシチュエーションの気もしますが)すばらしい描写ですね。狙ったことを狙った通り表現できる、ぼくもそんなふうになりたいです 60点。
Posted by ケン at 2007年02月21日 13:45
江戸前の寿司以外で、いわゆる押し寿司的な鮨ってモンを食ったのは、
実は学生時代にやまぶしさんの母のやまんばさんにいただいた、
「ますのすし」が初めてで、結構ビックリした記憶がよみがえった。
その「ますのすし」で有名な源が宇宙食用のマス寿司を開発するらしいよ。
http://www.minamoto.co.jp/
Posted by 勝蔵 at 2007年02月21日 23:40
> ケンどの
出来過ぎなシチュというのは遠からず近からずだ。
事態はもう少し込み入っていたのだが、
まぁ、そういう落としどころにした。
しかし、称賛してくれる割には、相変わらず点が辛いな。
前回富士山は赤点寸前だったから、まぁ気をよくしてさらなる精進。

> 勝蔵どの
へぇ、そうなの。バッテラくらいは食ったことなかったの?
Posted by やまぶし at 2007年02月22日 02:07
ないね、スシといえば所謂、江戸前寿司がスシなんだよね、関東は。
だから大人になって始めて食ったのよ、そりゃ「散らし寿司」は食ったことあったけど、それとはちがうもんね?
Posted by 勝蔵 at 2007年02月22日 23:11