2007年06月20日

五個荘

「しまつして、きばる」または「三方よし」。
てんびんの里・近江商人屋敷そぞろ歩き。

白壁の蔵屋敷の腰板は、琵琶湖を往来していた廃船の船底板を使用した船板塀。
風雨に晒されて堅くしまった質実剛健な、えもいわれぬ美観。

豪壮な庭園付きの屋敷ながら、玄関が拍子抜けするくらい簡素なのも近江商人屋敷の特徴。

葦葺きの屋根に上がるは、アワビ(?)の貝殻。火除けのまじないですね、これは。

そういえば、ヨシまたはアシ(葦・芦・蘆・葭)は学術的には差違がないものらしく、アシという名が悪しに通ずるのでヨシと言いかえたらしい。関東ではアシということが多く、関西ではヨシの方が一般的。ところが、この地方の年寄りに言わせると、アシには茎の中に綿毛のような繊維が詰まっており、これが水気を含むことから屋根材に不適なのだという。よって悪しなのだと。かなり明確に断定するので、もしかすると生息地や生育条件の違いによって、琵琶湖畔には2種類があるのかも知れない。

伝統的な建造物群の保存地区だっけあって、旧来の外観が保たれている。平日のためだったせいもあるが、足音も少なく海の底のような静けさに時間の感覚を狂わせるおもむき。塵ひとつ落ちていない街並みに居住する人々の気づかいが感じられます。


近江門徒の地でもあり、裕福な商人の街でもあるだけに、狭い町域には真宗寺院が多い。見た限りでは東本願寺派ばかりで、ここ近江を境に東海・北陸が東本願寺派の中心地域であるというのがうなずける。

余談ながら、いまでは標準語的に使われる「・・・・・・させていただきます」という謙譲語、これが門徒言葉だったという説がある。弥陀の本願による絶対他力の信仰である浄土真宗は、他方な見方では「門徒物知らず」という言葉もあるとおりだが、「この世に生かされているもの弥陀の本願」「ご飯を食べさせていただいているのも弥陀の本願」「一日が終わり休ませていただくのも弥陀の本願」てな具合に、来世への欣求浄土だけじゃなく、現世でのつつましさとか謙虚さのある暮らしの律し方への影響というのは、下手な戒律仏教よりも好ましい日本人像への寄与が大きかったのではないかと、親父の17回忌だかを寝坊してすっぽかしたことのある西本願寺派の門徒めなるワタクシは思うのです。

天秤棒を担いで全国を行商に歩く近江商人は、江戸中期以降、京阪や江戸などの大都市で商業資本家として大きく成長する。そうすると丁稚の端々にいたるまで近江門徒的な言葉が浸透して、いまでは「では、明日の午後におじゃまさせていただきます」とか「10時より営業させていただいております」とか使われているというわけなのではないか。

別に、先方へ訪ねていくのも店を開けるのも、自分の足で歩いて電車に乗るなら自分で切符を買って、店のシャッターは自分の腕で押し上げているんで、ダレに感謝するわけでもねーんだよ! ってことじゃないのね。そうそう。南無阿弥陀仏って、何かを願う祈りの言葉じゃなくて絶対他力に委ねきってしまうという報恩感謝の言葉なんだよね。そう思うと門徒恐るべし。

でわ、このエントリーもずいぶん長くなりましたので、「今日はこの辺で終わらさせていただきます」。

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この記事へのコメント
17回忌のとき あの家は仏壇とガラクタだけで電話がなく
今のように携帯電話が普及してなかった
何度も留守電が入ってないか?住まいに確かめに
突然「えへっ ^^!」と現れるのではないかとも期待もした
朝寝坊も窮極の馬鹿息子!あきれ返って勘当するにも値しなかった
Posted by やまんば at 2007年06月21日 08:13
> やまんば様
いまだってケータイもってないじゃないですか
いや、その節はすんません
来年の弔い上げは立派に勤めさせていただきます
念珠どこやったっけかな
Posted by やまぶし at 2007年06月22日 00:20
あの頃 携帯が 今のように普及して手ごろな値段なら持ちましたサ!
数珠 探さっしゃい
いまは 携帯必要ないもの!
あたしゃ 倅に携帯 持たされるほど 呆けとるか?
Posted by やまんば at 2007年06月22日 09:05