2007年10月30日
高秋 天高く俺肥ゆる、山形をゆく ~立志篇~
てっきり新幹線でいくもの思っていたよ。なんたって遙かなる奥羽の山河。山形だもんね。
新宿から、東北道・山形道とバスに揺られて約6時間。広いようで日本はあんがい狭い。
うたた寝の連続でグダグダになりながら山形市は馬見ヶ崎川河川敷に到着。

好天だが、東京よりはグッと気温は低い。マイナス5度くらいか。澄んだ空が高いところにある。
河原では、おばちゃんたちが大鍋でなにかを煮こみながら、おいでおいでをしている。

新宿から、東北道・山形道とバスに揺られて約6時間。広いようで日本はあんがい狭い。
うたた寝の連続でグダグダになりながら山形市は馬見ヶ崎川河川敷に到着。

好天だが、東京よりはグッと気温は低い。マイナス5度くらいか。澄んだ空が高いところにある。
河原では、おばちゃんたちが大鍋でなにかを煮こみながら、おいでおいでをしている。

この地方の秋の風物詩といえばコレである。そう、芋煮会。

現在の他地方での似たようなものといえば、夏のバーベキューみたいなもんか。
もっとも、山形の芋煮は幼子から足腰の立つじいさん、ばあさんまで誰もがやる。
家族、会社や学校などのグループなど、いろんな単位で季節に何度でもやるばかりか、
家庭でも旬の里芋を煮て、大食いに食うらしい。
もちろん、伝統の風習で、起源をたどれば江戸時代ころまでさかのぼるらしい。
当時、山形盆地で収穫された紅花を、酒田まで最上川の船で運ぶ船子たちが
河原に大鍋をひきすえて始めたものだったらしい。

里芋はほかの根菜類に比べて、水っぽくなるなど冬場を越えての
保存に向かないようだから、収穫が終わってひと段落ついたこの時期に、
慰労と冬場への滋養のため大食いに煮て食っちゃおうって知恵だったのかもしれない。
具の大半は里芋である。これのたっぷりの白ネギが加わる。コンニャク、きのこのほか、
薄切りの牛肉の味が芋やネギにまわって絶妙である。
もっとも、牛肉が入るようになったのはここ40年くらいで、それまでは油揚げだったという。

なるほど。柔らかだがしっかり粘りのある歯応えと、質の細やかな舌ざわり。
ほんのりほのかな甘みに牛肉のダシを吸った里芋はサイコーにうまかった。
握りめしは、山形のはえぬき使用。バスのなかで行儀良く座ってきただけなので
たいして腹はこなれていなかったのだが、河原のオバハンらにすすめられるまま
芋煮3杯を平らげてしまう。また、粉辛子と砂糖で漬け込んだキュウリの辛子漬けが
ことのほかうまかった。独特の甘辛い味は、この地方の郷土料理なんだそうだ。
河原の風にふかれてこの献立とくれば、冷酒がほしいところなのだが
こうみえても仕事。芋三杯を平らげた後、消化もままならぬまま、
次への目的地へと駆けるのだった。

現在の他地方での似たようなものといえば、夏のバーベキューみたいなもんか。
もっとも、山形の芋煮は幼子から足腰の立つじいさん、ばあさんまで誰もがやる。
家族、会社や学校などのグループなど、いろんな単位で季節に何度でもやるばかりか、
家庭でも旬の里芋を煮て、大食いに食うらしい。
もちろん、伝統の風習で、起源をたどれば江戸時代ころまでさかのぼるらしい。
当時、山形盆地で収穫された紅花を、酒田まで最上川の船で運ぶ船子たちが
河原に大鍋をひきすえて始めたものだったらしい。

里芋はほかの根菜類に比べて、水っぽくなるなど冬場を越えての
保存に向かないようだから、収穫が終わってひと段落ついたこの時期に、
慰労と冬場への滋養のため大食いに煮て食っちゃおうって知恵だったのかもしれない。
具の大半は里芋である。これのたっぷりの白ネギが加わる。コンニャク、きのこのほか、
薄切りの牛肉の味が芋やネギにまわって絶妙である。
もっとも、牛肉が入るようになったのはここ40年くらいで、それまでは油揚げだったという。

なるほど。柔らかだがしっかり粘りのある歯応えと、質の細やかな舌ざわり。
ほんのりほのかな甘みに牛肉のダシを吸った里芋はサイコーにうまかった。
握りめしは、山形のはえぬき使用。バスのなかで行儀良く座ってきただけなので
たいして腹はこなれていなかったのだが、河原のオバハンらにすすめられるまま
芋煮3杯を平らげてしまう。また、粉辛子と砂糖で漬け込んだキュウリの辛子漬けが
ことのほかうまかった。独特の甘辛い味は、この地方の郷土料理なんだそうだ。
河原の風にふかれてこの献立とくれば、冷酒がほしいところなのだが
こうみえても仕事。芋三杯を平らげた後、消化もままならぬまま、
次への目的地へと駆けるのだった。
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