2008年03月17日

曼殊院門跡 ~その2~

柾目がビシッと通った杉は数寄屋普請の圧倒的な主役で、その材のもつ軽さと無常なうつくしさが、寂びなど数寄のこころにかなう。大書院をぬけて外にでると庭になる。縁側には、ごく簡素なつくりの欄干があり、やはり垂木がむきだしのままの軒と合わさって、舟ばたにいるようでもある。
遠州好みといわれる枯山水の庭。
枯山水は、水景をあらわした庭である。白砂の海、青い叡山苔の島、陸には老いた松が樹叢をなし、あるいは滝石が組まれている。



屋根のこけら葺きがうつくしい小書院。
山から滝が流れで、その水がなした海こぎ出した、屋形船として設計された書院である。
鶴島、亀島と2つの島を分かつは白の砂の海水。書院のまわりの縁に立てば、だれもが水辺の景色を感じられるようつくられたのが曼殊院の庭である。


軒の垂木の風情も、意匠をこらしたというものではなく庭をみるための舟ばたであるにすぎないという思想。

現世は、かりそめの住まいである。

宗教観からではなく、美的センスとしてそう思うところが数寄のこころでもある。


仲秋の月明かりをはね返らせ書院にとりこんだといわれる手水鉢。


庭を眺めるために建てられたのが、曼殊院と桂離宮である。豪壮な御殿建築でないのは当然のことである。
室町から桃山の時代をへて、江戸期の公家文化の頂点がここにある。

そして、このころを最後に公家の文化は急速にしぼむ。

幾世紀かをへて、庭だけがたしかな息吹を感じさせつづけている。



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