2005年06月23日

バターおかか飯

■19だったか20だったかの頃なので、もう20年近くも前のことだ。当時在学していた(後に中退)アートスクールの学友が作ることのできた唯一無二の手料理。
■その学友とは、なんでも田舎の素封家のひとり息子で、当然全額仕送りでそれでも金のないときは、オヤジから「金がなくとも人には頭を下げるな」とばかりに、JCBのゴールドカードを持たされていた人物だった(なんどかそのカードでデニーズごちそうになったけど)。
■無論、そんな人物なので自炊などほぼ皆無。ひとりで宅配ピザとって「もーくえねー!」とかいって半分捨てたりするような皇子さまぶりだった。
■学友期間通して、彼のアパートには仲間が集い、夜が更けるまで、いや朝までか。ギター、ファミコン、革命論など闘わせる毎日。隣人が「眠れないんです!」と乗り込んできたときは、いまや立派な社長さんとなった男が泥酔しながら、「オマエはいいから寝ろ!」と襟髪つかみながらフックの連打。後に官憲の介入を招いたりもした。
■そんなこんなで半年ごとに引越しを余儀なくされた彼だが、金は実家からスイスイ出るので平気の平左。学友たちはどこまでも彼についていくフィーバーぶりだった。
■そんな彼の何軒めかのアジトで初めて食したのこの「バターおかか飯」。毎度の宴も果て、寝るヤツは寝、呆然と寝そびれたヤツは寝そびれていたようなシチュエーションだったかと。「腹減ったな」「吉牛でも食いにいくか」「メンドイな~」とかいう腐りきった空間。
■「なんでもいーから食うもんないの?」の問いに彼が「ほんじゃメシでも炊いたる!」と勇躍する。ジャカジャカ米を研ぎ炊き上がりを待つ間に、流しの湯沸かし器で洗髪などして待つ我々。
■ほかほかに炊けたメシは実家から送ってくる銘柄米らしく実にうまそうだ。常食が標準米だった我々にはこの炊き上がりの匂いだけで唾がでる。やおら彼が冷蔵庫から取り出したのが雪印バター塊。それを、ザックザックと豪快に丼飯のうえで切り分ける。新品のバター1パックを4~5人で使い切ってしまう贅沢さ。炊きたて熱々の飯の上でバター塊がなよなよと溶け崩れる。むせぶようなバターの香り。さらにその上からかつお節をバッサバッサとふりかけ、やおら醤油を回しかけるでないか。
■ここまで固唾を飲んでいた我々だったが、ことこれにいたりすべてを飲み込んだ。「では、始めましょか♪」という目配せとともに、これら丼のキャラクターどもを渾然一体となるよう箸でグルグルかき混ぜ、そして間髪いれずワッシワッシと掻き込んだのだ。
■炊きたて銘柄米のかぐわしき甘みに鼻腔一杯にむせぶほど広がるバターの香り。熱い飯の上でバターは素早く溶解され米がその味をどんどん吸っていくのだが、ところどころ溶け残ったバター屑の生っぽくもコクある味わいも意表を突きまくるアクセント。
■そして、メラメラと飯の上で身をよじりダシを放散しつづけるかつお節のうまさに、なんといってもバターと醤油がここまで合うのか!という衝撃の事実。ああ、お父さんお母さん。日本人に生んでくれてありがとう。生まれ変わってもあなたたちの子供に生まれたかとです。
■粗暴なまでの料理ではあるが、簡潔明瞭な素材の完璧な調和に我々は瞠目した。「海原雄山の至高のメニューに加えるべきだぜ、雁屋哲!」との結論に満場一意。

■彼がこのメシを作ってくれたのは、この一度きり。その後、十数年を経て、時々自分でも作ってみているが、あのときほどのうまさは得られないなあ。風の便りによると、その彼は郊外に一家をかまえ、芝刈りだの犬の散歩だのひよったことをしているらしい。無論わたしも民謡酒場で舞い遊び、場末のスナックにチャミスル舐めに行ったりする日々。あのときは、いかなる革命も成就する…というくらい骨太なうまさだったことだけは確かだ。

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